ペルーアンデス Pisco(5,752m)

ペルーアンデスへ6/19~7/17まで古畑・遠山・植田の3名で行ってきました。
遠征そのものは当初計画していたほとんどが実行することが出来ず、とても悔しく残念な結果で終わってしまいましたが、そんな中でPisco(5,752m)だけでも3名で登頂する事ができたことがせめてもの救いです。

6/19ペルーリマ入り 6/20ワラス入り 6/21順化行動 6/22買出し 6/23レスト
6/24ワラス~ピスコBC
6/25順化行動4,900mへ
6/26天気悪く停滞
6/27ピスコBC~ピスコ5,752m往復
6/28ワラス戻り~7/4
7/5ワラス~パロン湖~4,400m付近
7/6 4,800m~Caraz偵察(古畑・遠山)
7/7植田高所順応できず3名で下山~ワラス7/9まで
7/10ワラス~HatunMachay(スポーツクライミング)
7/11HatunMachay~ワラス(スポーツクライミング)
7/12ワラス~Huacrajirca&Jamancajirca(ボルダリングエリア)~ワラス
7/13ワラス~リマ
7/14リマ滞在 7/15リマ帰国(7/17帰国)

ペルーアンデスへは日本登攀クラブ会員、故・野田君から生前その魅力を聞いた時から憧れを持ち、自分にも海外遠征へ行けるかもしれないと思わせてくれたきっかけとなった場所で、その後ネパール、インドと遠征に行き今回、自分自身で計画を立て仲間募りネパールで共に初遠征へ行った遠山、海外旅行経験一番多く遠征登山は初めての植田が集まり遠征計画が具体化しました。若い頃から遠征を経験しておらず海外旅行の経験も無かったサラリーマンには海外遠征とはなかなか大変なものですが過去2度の大先輩(山野井さん)との経験から今回は落ち着いて計画・対応・日常をこなすことができました。

遠征そのものは計画通りには行きませんでした。
その大きな要因は高地順応で、改めて順化の難しさを感じるものでした。
古畑、遠山は最初のPiscoBCの時点で順化も順調でしたが、高所が初めての植田はBC到着時点から高山病の症状があり(ペースを上げすぎていたなど要因もありますが)翌日の順化行動で行った4,900mではかなり辛い状態、幸いその翌日は悪天で停滞となりBCで順化に充てるもあまり改善されなかったのかPisco登頂時はかなり酷い高山病状態。なんとか登頂することが出来ました。食糧計画・燃料計画に不備や、BCでも体調が良くならないこともあり下山し体調回復後、食糧も現場調理をやめジェットボイルだけの料理とし食担当の負担を減らして挑んだCarazでも4,800mで高山病の症状が辛く無理とのことから下山する事となりました。2度目のCarazでは苦しくとも一度は5,752mまで上がっていることや、アプローチもかなりゆっくり進んでいた事から大丈夫かな?と思っていましたが、順化は人それぞれのようで簡単ではありません・・・
帰国して思うことは登れなかったことはメンバー皆が悔しいのですが、一番悔しいのは、日本での準備不足・登攀対象の山やルートへの勉強不足の問題もあったとはいえ、順化できなかった植田だろうと。

宿に戻り、古畑・遠山だけでの登山も検討しましたが3人で来ている遠征であることから最後は3人で楽しめるフリークライミング・ボルダリングエリアに行こうとHatunMachay(標高4,300m 200ルート超 5.6~5.13b 長さ30m、マルチピッチあり)・ボルダーエリアのHuacrajirca&Jamancajirca(標高3,140m 143ルート V1~V13)へ行ってきました。ルートエリアではやはり標高4,300mもあり辛そうな植田でしたがクライミング自体は楽しめたのではないかと思います。またボルダーエリアでは古畑・遠山がV6のルートを登ることができたのが少し嬉しい思いでとなりました。

(その他)
○ワラスへは米ドルを持っていけば両替可能(1㌦=3.2ソル)
○ワラスでは1泊45ソル(3人一部屋)
○食事は1食10ソル~5ソル程度(鶏肉が美味しい)
○タクシーは高いためコレクティーボ利用(現地バス 1ソル~)
○リマへはエアロメヒコ航空(メキシコ経由 鍵壊されました)
○小さな芋は芽を取りましょう。野良犬多いので気を付けましょう。
○EPIガスは1缶25ソルが一般的
○1人当り総費用(飛行機代・宿代・食費・保険すべて)約18.9万円

記 古畑


インドヒマラヤ ルーチョ東壁

インドヒマラヤ J&K州 ザンスカールの未踏峰で無名峰の標高6000mに山野井、古畑でアルパインスタイルで登頂して来ました。

7月17日 エアーインディアにてニューデリーに夕方到着

7月18日 LO(連絡管)を含めIMFでブリーフィング

7月19日 ゴーエアでレーの町に到着(標高3500m)

7月20日 チャーターした車でカルギルに(2800m)

7月21日 ランダムの村に到着テント泊(4000m)

7月22日 アクショーの村に到着、ここから目指すチャンダル山域が見える(3800m)

7月23日 馬、ロバ合わせて10頭と共にトレッキング、標高4150mにベースキャンプを設ける

7月24日 4700m付近まで丘を上がり偵察、予定していた北面は雪が少ないので東面を挑戦することにする。

7月25日 ベース休養

7月26~28日 氷河が始まる5000mに上がり、登攀予定の東壁の偵察含め、下降路の偵察のため南稜の5500mまで上がる

7月29~30日 ベース休養

7月31日 5000mに上がり午後5時には寝袋に入る

8月1日 午前1時30分出発、登攀ギアとして、7×60mロープ、カム×6、ナッツ1セット、ハーケン×7、アイススクリュー×2 それに加えテント、寝袋、コンロ等のビバーク用具を携え登攀開始。氷雪で構成される東壁をロープを使用せず登り続けるが、時暗闇のため時々確認のため立ち止まった。午前5時30分稜線に抜ける。頂上まで標高差300mは少々難しい登攀を強いられた。落石の危険に加え氷、岩ともに脆い場所が現れた。午前9時11分、登頂。雲の隙間から素晴らしい山々が確認できた。

下降は、V字スレッドに加え、幾つかのギアを残置して懸垂し、傾斜の緩い南稜経由で5000mの氷河に戻った。往復15時間

ベースキャンプに下山後、地元の人と話し合い、角のような山の形から、RUCHO この山に名前を付けた。「ルーチョ東壁 標高差1000m TD」

古畑にとっては、昨年のネパール、アビ北壁を敗退していたこともあり、今回のルーチョは最高の思い出になったと思われる。また山野井も久しぶりのヒマラヤの頂に感動した。

(記 山野井)

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